プロジェクターはパワポの夢を見る

久保語録
03 /12 2017


久保です。今回は皆様お馴染みのパワポについて考えてみたいと思います。何かを発表するときにパワポを使うことは多いと思いますが、ここではパワポのメリットと落とし穴について考えてみましょう。

まずメリットですが、内容を整理して順序だてて発表できるところ、図・グラフ・写真などが見やすく提示できるところが挙げられます。また発表の時間配分の把握がしやすい(スライド一枚で何分くらい時間を使えば、全体としてうまく持ち時間内に収まる、という見通しがたつため)というのも、発表者にとってはありがたいことだと思います。
しかし、パワポであろうと内容の構成をしっかり作ってからスライドを作ることは大事ですね。いきなりパワポで内容を作っていくと、何となくスライドが流れていくので、内容のつながりが変でも何となくつながっているようにみえます。また、スライドに書く文は箇条書きや短いものが多いので、見やすいという利点がある一方、場合によっては内容が深まらないという弱点もあります。発表者としては、とりあえず項目をスライドに書いておいて、あとは口頭でその説明をすればいいと軽く考えると、内容が深まらないことがあります。

内容の深さより明快さを求めほうに偏ることが一方的に悪いとはいえず、ケースバイケースでしょうが、ただ表面的に明快さばかりの発表をよしとする傾向があるならばそれには疑問を感じます。また聞き手も同じように、明快であり見栄えがよい部分のみをとりあげて「ああ、いい発表だった」と満足します。そうなるとそれはお互いでお互いのレベルを下げていることになります。

またパワポに頼り過ぎると全体の流れがパワポに縛られて、パワポの説明に終始してしまう傾向があります。そうなると順番にスライドの文を読み、それに機械的に解説を加えていくという作業になってしまい、発表で最も大事な生の声で聴衆に伝えるということが疎かになります。発表とは伝える内容にどう想いを込めて喋るかが要だと思うので、聴衆から離れたスクリーンに近いところで机に座りパソコンの画面をクリックしながら、聴衆の顔をほとんど見ないで発表をしても発表者の想いが伝わるかについては私は疑問を持ちます(この意見には異議を唱える声が多い気もしますが)。

いずれにせよ、パワポに操られた発表ではなく、パワポを上手に活用した発表をしたいものですね。
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ハナミズスウスウクン

久保語録
03 /05 2017


くぼです。私がすずかけにいた頃のある利用者さんの話です。その方は内職中心で作業していた方ですが、外作業や特養の作業にも参加するようになりました。その特養の園長は、その方が作業に参加し始めの時から気にかけてくれていました。一年くらい経ったあと、しばらくその方の作業の様子を見ていなかった園長がたまたま我々の清掃作業中に通りかかり、作業の著しい成長を目の当たりにして、「日々の積み重ねでこんなにも成長するんですね。労働とはなんとすばらしいんだ!」と言っていたのをよく覚えています。

さて話は変わりますが、私は小学校四年生から中学三年生まで珠算教室に通っていました。結果的には、全珠連は総合で二段、種目別で言うと割り暗算が六段、商工会議所は総合で初段を獲りました。よく算盤をしていると頭の中にそろばんが浮かぶんですよねと言われます。確かに浮かんでいて自由に珠が動くのです。ですから数字を記憶するときはそろばんの珠の並びで覚えます。電話番号や暗証番号などすべてそうです。困るのは目に
入る数字を知らず知らずのうちに足してしまうことです。街を歩いていると、看板の電話番号や住所の数字が勝手に頭の中で足されます。頭の中で常にそろばん珠が動き、いつも合計が算出される感じです(ここ数年ようやくこういった職業病もなくなりました)。でも実はそろばんをやっていて一番役に立っているのは飲み会で割り勘をするときかもしれません😄

小学生のときは、そろばんを習っている友達と読み上げ暗算ごっこというのをよくやりました。片方が「願いましては、346円なり、・・・」と金額を次々に言い、最後に「・・・293円では?」と問題を出します。もう片方が「・・・・円」と答え、それが合っていると、問題を出した方が「ごめい!」と言います。問題を出す側を交互に変えながら、延々とこれをやって遊びます。結構いい時間つぶしになりました。周りの人から見るととても異様な光景だったとは思いますが。

さて、私は地元の珠算教室に通っていたのですが、その先生は若くて威勢の良い男の先生で、普段は優しくてたくさん面白い話をしてくれました。ひどいときにはほとんど珠算の練習はせずに、先生の面白い話で終わるときもありました。これは後年の私に影響していて、私が塾の講師をしていたとき、半分以上が世間話になるときがありました。もうひとつ、私が憧れたのが、先生が読み上げ算の問題を出すときの早口だがはっきり発音していて、さらに心地よいリズムがついていく、まさに立て板に水の読み上げ方でした。私が経験したのは13桁、つまり兆の位から始まる読み上げ算で、これが立て板に水の勢いで読まれるのですから、計算するほうは一瞬たりとも気が抜けません。あの緊張感はちょっと他に味わったことがありません。私は立て板に水の読み方が好きで後年、講談の修羅場読み(太平記など)や落語の江戸っ子の啖呵(大工調べなど)や香具師の啖呵(がまの油売りなど)をよく聞くようになり、自分でも覚えました。当時なりたかった職業はラジオの実況アナウンサーで、ラジオの野球の実況に憧れました。さて、このように普段
は面白くていい先生なのですが、生徒が明らかにやる気がなかったり、ふざけてばかりのときの先生は鬼のように怖かったです。私が今でも忘れられないのは、ある生徒がふざけていたときに、なんとその生徒に向かって文鎮を投げたのです!当たらないように狙ったのか、運がよかったのかはわかりませんが、文鎮はその生徒の頭上少し上を勢いよく通り過ぎて、後ろの壁に大きな衝撃音とともにめりこみました。もうひとつ衝撃的だったのは、何かで先生が怒って自分のそろばんを机にぶつけて叩き割ったことです。そろばんの珠がきれいに弾け飛び、後ろの方に座っていた私の脇の床にまで、そろばん珠がコロコロと床を転がってきたのは今でも頭の中で映像が浮かびます。しかし、繰り返しますが、この先生は普段は優しく面白く人気がありました。

さて、珠算の問題は10分間など決められた時間にどれだけの計算をするのかが勝負なので、一秒たりとも無駄にできません。たとえ鼻水が出ようとも鼻をかんでいる余裕などないのです。これが困りました。この頃、私は蓄膿症にかかっていて、週1ペースで耳鼻科へ通っていました。耳鼻科では鼻水を吸う機械(きっと名前はハナミズスウスウクン)を使い、よくまあこんなに鼻水が出るなあ、と思うくらいの鼻水を吸い出していました。
(あっ、ここからびろうな話になるので、食事中の方は読むのをご遠慮ください)
ですから、一秒たりとも惜しいそろばんの計算中であっても鼻水は出てきます。でも少しくらい鼻が出ても決してかみません。そのまま出るに任せます。すると重力にしたがって、鼻水はずるずると落ちていき、途切れないまま長くなって、そろばんに向かってゆっくりと落下していきます。そしてそろばんに当たるか当たらないかの時に思いっきり吸い上げるのです。この行為が計算中に何度か行われます。一見簡単そうに思えますが、この技を会得するには長い時間がかかりました。鼻水を吸い上げるタイミングを間違え、何度そろばんに鼻水がつき、珠が動きづらくなったことか。まさに汗と涙と鼻水の結晶でした。


一羊会「ジョイント」

兵庫県西宮市にある一羊会「ジョイント」です。何気ないジョイントの日常やスタッフが何気なく思うことを発信していけたらと思います。どうぞ、のぞいてみてください♪

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