ドボチョン野外フェス

スタッフが日々感じている「あんなことやこんなこと」
04 /22 2017



ドボチョンてなんぞやーーー!!(゚∀゚)

少し前になりますが、ガイドで「ドボチョン野外フェス」に行ってきました!

私も行ってみるまでよく分かっていなかったのですが、色んなジャンルのバンドマン達が野外で演奏をして盛り上がろう〜という感じです!
音楽のジャンルは、ロックやジャズと様々で、皆さん歌も演奏もうまく、とても盛り上がっていました!!

会場に着いてからは、まず腹ごしらえ^_^
ホルモンうどん片手にライブ鑑賞!!最高!!!

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一緒に行ったTさんも、演奏が始まると自然と体が動いていて、とても楽しまれていました(*^_^*)


ステージの前には、たくさんの人が集まり音楽に合わせて踊ったり、初対面の人ともハイタッチや握手を交わしたり……♪



そして、なんと!
ライブ中アーティストの方が投げてくれた帽子をゲット〜( ^∀^)
(予想以上に重みのある帽子で、結構なスピードで飛んできました。笑)

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音楽の力はすごいな〜と改めて思えたお出かけでした(*^_^*)
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「はい」ではなくて「は~い」

久保語録
04 /10 2017


久保です。以前一緒に過ごしていて、今はほとんど会わない利用者の方にたまに会ったとき、変わらずに「久保ちゃん」とか「ひーたかちゃん」と呼ばれると嬉しいものですね。さて話は変わりますが、みなさん、ふだん人と会話していて、話を切るタイミングってどうしていますか?会って会話しているときもそうですが、特に電話のとき困りませんか?自分としては、聞きたいことは聞いて、言いたいことは言ったけど、でもそれだけじゃ味気ないし、ちょっと別の話をしたほうがいいのかも?でも相手は忙しいかも?いや意外と相手はもっとしゃべりたいと思ってるかも。

そんなとき、相手の気持ちを計りながら上手に話をきれるアイテムが「はーい」なのです。相手の気持ちをはかりながら徐々にフェイドアウトできるんですよ。振り返ってみるとすでにみなさんもすでに使っているかもしれませんね。

「とりあえず私は言うべきことは言ったし、もうこの会話終わりたいが、相手はどうなんだろう?まだ話があるかもしれないから、むげにはきりにくいし、また仕事と関係ない話をしたいのかもしれない。だって仕事の話ばかりじゃ味気ないし・・と思うとなかなか会話は切れません。「私はもう言うべきことは全部言ったので、あなたが特に話すことがなければこの会話は終わりたいんですがどうでしょうか?」なんて私たちはイギリス人ではないからとてもそんなことは言えません。

そんなとき便利なアイテムが「は~い」なのです。「はい」ではだめです。「はい」では一見会話は終わったようになりますが、何かぎこちなくなって、またしゃべってしまいます。「は~い」は「は~い」と伸ばさないといけません。お互い「は~い」と言いながら、「もうこの会話は終わりだよね、もういいよね、お互いそう思ってるよね」という気持ちのやりとりをしているのです。相手との有効関係を崩さないためには一回だけでなく二回三回「は~い」と言うと効果的です。だんだん「は~い」から「は~~い」とさらに伸ばすことをおすすめします。そうするとさらにいい関係のまま話を切ることができます。

あと、他事業所の方との会議や業者さんとの打ち合わせなどで、普段会わない方々と改まった席で話し合いを終えたあと、そのまま終わるには何か物足りなく、少し別の話題で会話したくなったり、あるいは会話しないとこのまま去ることができない雰囲気ってありますよね。これについてはまた今度考えてみたいと思います。



就職フェア

久保語録
04 /02 2017


久保です。3月7日に就職フェアにブース出展で行ってきました。一羊会のブースにも大勢の方が来てくれて興味を持って話を聞いてくれました。みなさん、障害がある方たちと一緒に働くことや生活することをとても素晴らしいことと思っていて、私も気持ちを新たにしたのでした。

さて今回は戦争について考えます。なぜ戦争は起こるのか。学者小室直樹に言わせると、人間は本能として、自分の価値観を確固たるものにするため、己の価値観を周囲の人間に浸透させていく傾向にあるそうだ。そして自分と同じ価値観を持つ人たちと集団を結成する。困ったことにこの集団は現状維持のままでいることが許されない。現状維持のままいようということはすなわちその集団が衰退していくことと同じであるからである(なぜそうなるかは社会学的にも心理学的にも説明できるがここでは触れない)。故に、ある価値観に統一された集団は常に拡大していかなければならない運命にある。ここに悲劇が起こる。ある価値観の集団内の結束を固くしてその価値観を拡大していくには、他の価値観を否定しない
といけないからである(理想は明らかに他の価値観もお互いが受容できて共存できればいいのだが、歴史を見るとそれが成り立つのは難しい場合が多いと思われる)。自身の価値観の結束を固める方向にいけばいくほど、他の価値観の集団を認めない力が反比例的に増幅する。そして、最終的には相手手を攻撃してしまう。この時、他集団に対して残酷とも思える行為をしたとしても、そこには確固たる己の価値観が存在するので、相手を攻撃するのは、己の価値観に準じた正当な行為であり、それをすることが正義とまで思っている。己の価値観の使命に準じた行為なので、相手に感情移入をしなくて済むのである。いわゆる大義名分があれば、多少の犠牲はやむを得ないという恐ろしい理論が成立してしまう。これが戦争のメカニズムである。なんと恐ろしいことか。ここで言っている価値観とは、宗教であり、国家の主義であり、ある独裁者の価値観などである。

フロイトはいわゆる性衝動を基本としてエス・エゴ・スーパーエゴの組み合わせで人間の心の有り様を説明した。ありとあらゆる人間の行動はこれで説明できると考えたが、唯一フロイト理論で説明がつかなかったのが戦争である。第一次世界大戦の惨禍を目の当たりにして、フロイトは己の理論でこの惨禍が説明できないと考え、人間には死の衝動があると説明づけた。フロイトのあまたの著者の中に「人はなぜ戦争をするか」という作品があり、戦争を行ってしまう闘争本能があると提唱せざるを得なくなった。

ここで、話は生物学に移る。ローレンツという生物学者がいた。この人は動物には儀式(リチューアル)という行動があることを発見した。儀式(リチューアル)について解説する。ローレンツによると動物は基本的に闘争本能を持っている。子孫を残すためには他の種の攻撃から守る必要があり、そのためには相手を攻撃するしかない。故に、動物に闘争本能は必須なのである。しかし、ここで闘争本能が両刃の剣となる。種の保存のためには相手を攻撃する。しかし、また相手も闘争本能に基づいて攻撃するので、結果としてどちらかが負ける。負けたの種は滅亡することさえある。それではもともこもない。そこで動物の知恵として儀式(リチューアル)が編み出された(今これを書いていてスターリン・キューブリックの名作「2001年宇宙の旅」の冒頭の人類猿の争いと道具を使い始めることにより、その集団が驚異的に強くなって、それが人類につながっていくエピソードを思いだした。つまり、そういうことなのである。スターリン・キューブリックは「時計仕掛けのオレンジ」、アイズワイズシャット」、「フルメタルジャケット」
、「博士の異常な愛情」など毎回まるで違うスタイルで映画を撮っていて、まさに映画職人である。でも映画職人でまず頭に浮かぶのはビリー・ワイルダーで、この人の撮った「アパートの鍵貸します」のジャック・レモンや「検察側の証人(情婦)」のタイロン・パワー・・あっ、また脱線するのでやめる。ワイルダーの話をすると長くなり、さらにエンルスト・ルビッチまでいってしまう。ちなみに今回のアカデミー賞でシャーリー・マックレーンがゲストで出て喝采を浴びていた)。

では動物の儀式(リチューアル)について説明する。動物は闘争本能に従って争うわけだが(ローレンツによると異種同士だと争いはせず、同種内で争いが行われる種が多いそうだがその話は今回はしない)
、実際に攻撃をすると、己の命も失う可能性があるので、むやみに戦うわけにはいかない。そこで儀式をする。孔雀が派手な色合いの大きな羽根を拡げるのも儀式。犬がものすごい吠え方をするのも儀式。これは闘うまねをして、その時点の闘争本能を解消させ、かつお互いの身は安全のままという動物の知恵である。人間にも似たような行為はあって、インディアン同士がお互いパイプをくゆらしながらする儀式があり、これはまさに動物の行うその時点での闘争本能の解消なのだそうだ。この儀式を行うことでインディアン同士闘わなくて済むのである。

考えてみればボクシングなどのスポーツも闘争本能の解消のための儀式と考えられる。ルールの存在する闘争である。

さてここからが本題であるが、今まで述べたことを応用して、国と国の戦争や部族同士の紛争なども、動物の知恵である儀式を活用して、抑えこむことができないかという議論である。・・・今回はもうだいぶ書いたのでこの続きはまたにします。

一羊会「ジョイント」

兵庫県西宮市にある一羊会「ジョイント」です。何気ないジョイントの日常やスタッフが何気なく思うことを発信していけたらと思います。どうぞ、のぞいてみてください♪

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